航 跡
はじまり
1993年 5月12日”めいげんそ”(ヤマハY31S)は4人の共同オーナーのもと、木更津港に進水しました。ピカピカの新艇です。
最初は中古のY25マイレディクラスという案もあったのですが、帆走能力、機走力、居住性を考慮した結果、新艇でヤマハY31Sを購入することになりました。

ハルに大きくかかれた船名”MEIGENSO”は、
明元素、明るい元気の素という意味です。
記念すべき初航海です。行き先は富津岬沖の第一海堡、販売店の整備士も同乗しいますが、
彼もウィンドサーフィン時代からの仲間です。
初心者
こうしてスタートしたヨットライフですが、なにせ素人の集まり、ずいぶん怖い思いもしました。ヨットは横転しても沈まないという神話を頼りに、いつもオーバーセールでレールが海面に沈むくらいで帆走していました。リーフなんて言葉でしか知らず、強風下においてもセールにラインすら通していませんでした。エンジンは2GMで機走力もそこそこあったのですが、ヨットは風で走るものだという思いこみがあり、入出港以外は、たとえ危険な状態でも、機走に切り替えることなどありませんでした。ましてや機帆走という言葉など知りもせず、今から思うと恐ろしい程の初心者でした。
至福
富津岬沖が主なクルージングスポットでしたが、アンカーリングしての海水浴や魚釣りは、陸の上では味わうことのできない至福の時でした。東京湾を横断して大黒や横浜方面へのクルーズもしました。
初めてのロングクルージング
2年目の夏、房総富浦港への1泊2日クルージングをした時の事は、永遠に忘れられない思い出となりました。相変わらずの初心者で海図も天気図もノーチェック。往路は南西の風5mくらいで、富浦を目指すにはクローズホールド、いつものようにフルセールで快調なセーリング。日没前に無事富浦漁港入港を果たす。何とも言えない充実感と達成感、陸にいる海水浴客や釣り客に対する優越感に、ヨットを始めて良かったと心底喜びを感じる。宴会のあと、何かの催し物で賑わう富浦海岸散歩後、初の船中泊。暑さや夜露、しつこい蚊に悩まされつつも、幸せを感じながら就寝。
恐怖と挫折
2日目の朝、出発前に、港外でアンカリングし海水浴をする。全くもって余裕である。このとき今後待ち受ける苦難を誰が想像していただろうか。出航に際し誰も天気をチェックせず、いつものようにフルセール、クォータリーで快調にセーリングする。
途中、勝山港で一休みしようと入港するも、停泊場所が見つからず直ぐに出港する。風が上がったように感じたので直ぐにジブファーラーを巻いて縮帆、このときメインセールを縮帆する事を提案したが、これくらい大丈夫(おそらく強がり)ということで却下される。
風はどんどん上がり、ジブファーラーをすべて巻き込むもメインフルセールのため、非常にバランスが悪く全くの暴走状態。皆、恐怖を感じ、最悪の事態を想像する。怖くてジャイブもタックもシバーすることもできず、風に翻弄されっぱなし、危険である。勇気を出して、走りながらのリーフに挑戦、めいっぱい風をはらみ、下ろしにくいタイプ(スライダー無いため)のメインセールを何とか1ポイントの位置までリーフに成功する。それでも艇は暴走気味だが、富津岬をかわすため、何とかジャイブする。第一海保をまわり岬の北側にはいると、波も風も少し優しくなり、やっと一安心。最後、木更津港でセールを下ろすときに再び波と風に翻弄されるが、何とか無事帰還する。まさに命からがらである。この後、皆次第に”めいげんそ”との距離を置くようになった。
沈没
3年目のある朝、マリーナから「”めいげんそ
”が沈没した」と電話がある。悪い冗談だろうと耳を疑ったが、どうやら本当らしい。そういえば、昨日台風が通過したんだったけと思いながら状況説明を聞くと、隣の船が”めいげんそ”の上に乗っかっているとの事だ。
海上係留でマリーナに管理を任せっぱなしだったので、雨が降ろうが槍が降ろうが、台風が来ようが、全く気にしていなかったが、オーナーにも責任が発生するって話になっている。
不安がよぎりつつも、マリーナに向かい説明を受ける。沈没原因は隣の船の舫が切れた事が原因らしい。我々に責任は無いようで安心したが、これからの交渉が思いやられる。我々も船舶保険に加入していなかったが、隣のオーナーも加入していないらしい。
交渉
マリーナが最初の交渉の仲介をしてくれた。補償について話し合う。同じ年式の中古艇でどうかと言う案もあったが、皆のヨットに対する気持ちが薄れた時期でもあったため、お金での補償に決まった。我々のほかに、もう一艇被害を受けた艇があったが、そちらの交渉は我々以上に難航しているようだ。
補償してもらう側が言えたことではないが、繋船ロープが老朽化して切れても、マリーナには一切の管理責任が無く、全てオーナーの責任でと言うのはちょっと辛いような・・・。
自分の船の管理は全てオーナーの責任にある。シーマンシップとはそういうものだとは思うけど、管理費を払っているということもあるし・・・。だったら・・・。
ブランク
隣のオーナーとは親交が無く、交渉に先立ち不安も感じたが、ベテランのヨットマンでとても紳士的な方でした。ただし、当時バブルも崩壊していたときであり、補償金の受け取りは、2年がかりとなりました。共同所有物のため、早期の解決を望むあまり、厳しい催促もしてしまいました。いまだに後味の悪さを感じています。
船が無くなったこともあり、海との距離も次第に遠ざかりました。週末やゴールデンウィークに海にも行かなくなり、家族サービス、GWの家族旅行、仲間と海外旅行やゴルフに行ったりもしました。でも、何をやっても物足りなさを感じます。そんなとき、ふと呟いた「ジェットスキーでも買おうかな」という一言が再び我々を海に呼び戻す事になりました。
「ジェットスキーだったらヨットでしょ」、その日からおよそ半年をかけたヨット探しが始まりました。
2001年の春でした。
ヨット探し
”めいげんそ
”の元オーナーで再びヨット購入をと思いながら、1人はすでに釣りに夢中で聞く耳持たず、とりあえず3人でのスタートとなりました。景気を考え新艇はあきらめ、中古艇を探すことにしました。横浜ベイサイド、銚子、大洗、東京湾、夢の島マリーナなどほぼ関東一円を廻りましたが、3人の納得するだけのものはなかなか見つかりません。3人とも年齢を重ねるごとに個性が強くなったからかもしれません。
係留場所は、前回のこともあり木更津以外であればと思っていました。ちょうど、鴨川でフィッシャリーナができたということで、連絡したところ、空きがあるとのことです。早速、船が決まっていないのに予約してしまいました。これでなんとしても、探さなければならなくなりました。大黒にベネトウファースト310があり、2人は気に入ってたのですが、あと1人が乗り気ではありません。「2人が良ければ、2人で買えば」などと言うものだから、「じゃあ買うよ」というような具合で、結局2人オーナーということになってしまいました。共同購入の難しさということでしょうか。
エクスプローラー
船名は”エクスプローラー
”に決めました。前の船が沈没したこともあり、船名を継承しませんでした。探検家を目指すというわけではないけれど、響きが良かったので決めました。
復活の日
2001年8月4日 ”エクスプローラー
”の進水です。大黒から鴨川までの回航が初めての航海です。知人のドクターの船で多少練習はしたのですが、なにせ久々の航海です。2人の臨時クルーをのせ、いざスタート。初日は房総富浦漁港まで、風はやさしく1タックもせずにすみそうです。